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TOP  >  ブログ  >  建築屋のはるちゃん  >  今日はなんの日  >  11月3日今日はなんの日【首里城復元】
2011
11月 3
(木)
00:30
11月3日今日はなんの日【首里城復元】
本文
&font(180%,,#c0c0c0){''幾多の争いに翻弄             ''};

&ref(280px-Naha_Shuri_Castle16s5s3200.jpg);

1992年 - 沖縄戦で焼失した首里城が復元され、首里城公園が開園。

首里城の創建年代は明らかではない。近年の発掘調査から最古の
遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として
用いられていたことが確認されている。おそらく、13世紀末から14
世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと
考えられる。 尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を
王家の居城として用いるようになった。


同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても変えられるこ
とはなかった。史書で記録されている限りでも、首里城は数度にわ
たり焼失しており、そのたびに再建されてきた。その度に木材の調
達が問題となり、薩摩藩からの木材提供で再建を行ったり、将来の木
材需要を見越して本島北部での植林事業を行ったりしている。一度
目の焼失は1453年(享徳2年)に第一尚氏の尚金福王の死去後に発
生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。

二度目の消失は1660年(万治3年)のことであり再建に11年の年月を
要した。しかし1709年(宝永6年)に三度目の火災が起き正殿・北殿・南
殿などが焼失した。この時は財政が逼迫しており、1712年(正徳2年)
に薩摩藩から2万本近い原木を提供された。現在見る首里城の建築は
、三度目の火災の後再建された1715年(正徳5年)から1945年(昭和20年
)までの姿を基にしている。

1879年(明治12年)の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首
里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6
師団(熊本)の軍営として、その後は首里区(後の首里市)に払い下げ
られ、学校などとして利用された。王宮でなくなった首里城は急速に
荒廃が進み、老朽化が激しく崩壊寸前の状態になった。既に門のいく
つかは取り壊されており、正殿の取り壊しも検討された。

しかし、伊東忠太、鎌倉芳太郎ら関係者の奔走により保存が決定され
、昭和初期(1928年(昭和3年) - 1933年(昭和8年))に正殿の改修工事が
行われて国宝に指定され、県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代
国王が祀られた(源為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天にな
ったという説がある[1])。

太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り
総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメ
リカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる。
(今も、龍潭池には、地下壕の入り口や弾痕などが確認できる)さらに
日米両軍の激しい戦闘で、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝
物・文書を含む多くの文化財が破壊された。宝物庫は奇跡的に戦災を
免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪された。

戦後しばらくして一部が返還され、また所在が明らかになり返還に向
け交渉中のものもある。また近年尚家が保有していた琉球王国関連の
資財が寄贈され、沖縄県立博物館・美術館などで保管・展示されている。
戦後、首里城跡に琉球大学が置かれたことで、多くの遺構が撤去あるい
は埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくから多くの人々の悲願
だった。

1958年(昭和33年)、守礼門が再建されたのを皮切りに円覚寺門など
周辺の建築から再建が始まる。1972年(昭和47年)、日本復帰後に国の
史跡に指定(1972年5月15日指定)され、城の入り口に当たる歓会門と
周囲の城郭が再建された。1979年(昭和54年)に琉球大学が首里城跡
から移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定
され、本格的な復元がはじまった。1989年(平成元年)11月より[2]、遺構
の発掘調査や昭和初期の正殿改修図面・写真資料、古老の記憶などを
元に、工芸家や職人を動員した当時の装飾・建築技術の復元作業が行
われて正殿他の再建が始まった[3]。

屋根瓦については色についてさえ記録がなく、当時を知る老人を集
めて話を聞いても赤~黒まで意見がバラバラで難航した。すでに琉
球瓦を生産しているのは奥原製陶ただ1軒だけであり、4代目主奥原
崇典の尽力によって首里城の瓦が復元された[4]。

1992年(平成4年)11月3日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至
る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園した。現在は、首里城
を中心とした一帯が首里城公園として整備・公開がすすめられてお
り、正殿の裏側にあたる城郭や建築物群の再建事業も引き続き行わ
れている。2000年(平成12年)には「首里城跡」(しゅりじょうあと)とし
て他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名
称で世界遺産に登録された。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城
(100番)に選定された。以上出典ウィキペディア
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